くぼたみきのあゆみ


川崎から葉山へ

私は、川崎市にある「味の素」の社宅で、父・勝雄、母・芳子を両親に、長女として生まれました。その後弟が誕生し、4人家族となりました。
母の強い願いから、8才の時に葉山町の葉桜団地に転居しました。葉山小学校の2年生になり、山道を歩き、バス通学で、毎日がクタクタでした。5年生のとき、長柄小ができましたが、やっぱり通学は山坂。おかげで丈夫な体になりました。

働き者の母

働き者の母は、私が赤ちゃんのころ、泣いている私をおぶいながら家事をこなし、膝の中であやしながら、人の何倍も内職をこなしていたといいます。のちに母から「美樹を持ち家から学校に通わせたいとがんばったのよ」と聞き、感謝で胸がいっぱいになったことを思い出します。
いまでも働いている母をみると、母は根っからの働き者だと思っています。

葉山大好き少女に

葉桜団地に転居し、川崎市とは全く違う環境で、周辺の山林で遊ぶのが大好きな少女になりました。
小学校への通学で体も丈夫になり、中学校時代はソフトボールに、高校時代はバドミントンに熱中し、10代をスポーツで満喫しました。
結婚後、数年間葉山を離れましたが、子育てのため大好きな葉山に戻ってきました。

働き者の父に反発

父も朝早くから夜遅くまで働いていました。
私は、「お父さんも一生懸命働いてすごいな~」と子ども心に思っていました。
でも本当は、お父さんが家にいないのは、共産党や労働組合の仕事だということを大人になってから知りました。
母からは、共産党員だから出世はしない、給料は上がらないと聞かされ、父の活動には共感できませんでした。

政治を変えなくちゃ!

子育てをするなかで、食の安全や命の大切さ、周囲の環境が気になり始め、政治の矛盾を感じるようになりました。
いつしか、共感できなかった父の活動が身近に感じるようになってきました。
12年前、父が町会議員選挙に共産党から立候補しました。反発をしたこともあったけれど、信頼している父の選挙。子育て仲間やランチ仲間をさそい、母も一緒に一生懸命応援し、当選することができました。
選挙で多くの人たちとの素敵な出会いがあり、私も社会を変えるために働きたいと、日本共産党に入りました。

お年寄りの笑顔が大好き

私がちいさいころ、母は働くために私を山梨県の祖父母にあずけたことがありました。
田んぼ、畑、井戸、小川、小さな虫たち、祖父母が営んでいたお米屋さんの配達など、そのとき祖父母と暮らした思い出が、私が介護職を選んだ原点となっています。
介護の現場で働きながら、2級ヘルパー、介護福祉士の資格をとりました。
「汚い、きつい、給料が安い」と言われる介護職。毎日が必死の連続でしたが、お年寄りの笑顔は、明日に働く元気を与えてくれました。
私はその笑顔が大好きです。

まちづくりに貢献したい

日本共産党の議席は、住民の福祉、教育、暮らし、環境、まちづくりにとって欠かすことができません。「父のあとを継ぎ、議員を」と要請があったとき、びっくりし、悩みもしましたが、若さと介護福祉士の経験を生かし、その力でまちづくりに貢献していきたいと決意しました。
みなさんのご支援を心からお願いいたします。