みき通信第33号


miki-033

いまだ復興への手も尽くせない浪江町へ

8月初旬、11人の支援隊で福島県へ。何回も支援に行ったが、福島は初めて。高速で5時間ほどだが、放射線の関係で迂回するため7時間を予定。「いまでも?」と思いました。そして、福島県南相馬市の共産党ボランティアセンターへ。

支援要請は「とにかく現地を見てほしい。福島を忘れないでほしい」という。センターには、各地からの支援物資、玄米、ペットボトルの水が積まれている。

そして、昼間だけ帰宅をゆるされた浪江町へ。町には人影はありません。草は子供の背丈ほどにのび、カーテンが閉まったままの家。真夏に風も入れられない。大きな崩壊はみられないがところどころ壁が崩れ、塀が倒れている。

私は仮設住宅へ聞き取り調査訪問、直前に玄米を精米しお届けする。浪江の方が住む仮設住宅では「避難後、一度も自宅には戻ってない。今の様子はどんなですか?」「ねずみの大発生で自治体にお願いしたがダメ。自分達で駆除したが、今になってネズミ取りが配布された。何事も対応が遅い」。

津波被害者が「黒い煙のように波が来た。92才の義母の手を引き、夫がお尻を押し山に向かった。ギリギリのところで助かった。自宅は半壊だが浪江だからいつ戻れるかもわからない。もう帰れないねぇ」とお嫁さん。線量が高いため更に避難所を転々とされた92歳の義母の戸惑う様子のお話には鳥肌が立ちました。

津波被災地はいまだに車、船が打ち上げられたままで、防波堤が崩壊し元の砂浜に。生活の時間は止まり、自然の力だけの時は流れている。

前の場所に防波堤を作るなら補助金は出るが、新たな場所なら出さないという。おかしな話だと思う。

葉山に帰宅後、震災後初めて浪江の自宅でお盆を迎えると、赤ちゃんを抱いた親子三代の様子がテレビ報道されました。綺麗なご自宅、仏壇に沢山のお供物。これが嘘とは言いませんが、家の基礎しかのこってない所に花が供えられ、半壊の家に家族がお花を持って訪れている様子をいくつも見ました。震災と原発被害の両方受けた福島。被災から2年半経つ今、復興への手もいれられないこの場所に立ち自分は何をすべきか深く考えました。